1976年2月14日、千葉県習志野市に生まれ埼玉県桶川市に育つ。幼少期は家でひとり絵を描いたりプラモデルを組み立てたりな生活、屋外で多人数と遊ぶ行為がなにより苦手。けどチーム単位で行動する時はいつも段取りや場を仕切る側に立つ事が多かった。初対面が苦手で人見知りかつちょっとネガティヴな性格は父親譲り、お喋りで人前で何かするのが大好きなポジティブさは母親譲り、両極端なブレンド具合は今の仕事スタイルにまんま反映されている。小学生時代、友人宅で体験したスーパーマリオブラザーズにハマるが両親は断固としてファミコンの購入を許可せず。数年に渡る説得も虚しく神頼みなサンタクロースがもたらした唯一がスーパーマリオの「攻略本」だった。しょうがないから毎日読んでは頭で想像してゲームプレイを楽しむ生活。攻略本がボロボロになる頃には全コース頭にインプット。同時期ガンダムにもハマるがそれは本編ではなくてサイドストーリーものに傾倒、いわゆるMSV。今に続く舞台裏なドキュメンタリー好きは多分この辺りに由来している。色気づいてきた中学生時代、音楽にハマりTM NETWORKをやたら聴きまくる。その影響から高校時代、コツコツ貯めまくったお金でシンセサイザーを購入し打ち込み音楽制作に目覚める。既存楽曲のコピーではなく全てオリジナルだったのは「コピーは似てる似てないで評価されちゃう」これがとにかく嫌だった。昼間は学校で作詞を実施。授業中、先生から聞こえてくる古文や英単語は耳に入るなりまず歌詞に仕立ててみる。んで帰りに自転車を走らせながら口ずさみメロディを作曲。曲のテンポは自転車のスピードに依存するため通常30分の距離もロック調の時は15分くらい、バラード調の時は数時間要することもあった。自宅に帰るとシンセサイザーを起動し曲を打ち込む。結果、高校三年間で200以上の曲が出来た。(ちなみに若狭さんに提供した楽曲「untitled.」はこの頃の曲)。高校卒業後は音響専門学校に入学するも中退、人様の楽曲のミキシングエンジニアより自分の音楽で飯を食う道をとにかく探しまくる。中退後の1994年、Errors of P-maniaという平沢進氏(P-model)主催のライブイベントに出演、生まれて初めてのライブステージは当時の新宿リキッドルーム。800人の前で自作楽器「ショルダーエフェクター」を手に演奏。終演後、平沢氏がくれた評価とコメントはあの日から今日まで響いてる。そして1995年、自分の音楽にCG映像をつけたPVを作るべくローンしまくりでPowermac6100/60avとCGソフトInfini-D(ver3.5)、さらにビデオ編集ソフトAdobe Premiere(ver4.2)を購入。夜はアルバイト昼は制作活動に没頭しまくる。1997年、音楽配信を目的にホームページを開設。その流れから1998年、ホームページ制作のアルバイトを開始。ここで出会ったクリエイターのスキルの高さにノックアウトされ、自分は作るより企画やマネジメント側に立つ方が良いかもしれないと思い知らされ、結果、Webディレクターの道が拓くキッカケに。1999年9月9日、急に思い立ちフリーランスで独立起業。独自ドメイン(tagm.org)を取得して本サイトがリリースされる…

田口真行

田口 真行

株式会社デスクトップワークス 代表取締役
Webディレクタースクール 主宰
社団法人 日本ディレクション協会 副会長
株式会社メンバーズ 技術顧問

1999年、フリーのWebディレクターとして独立後、株式会社デスクトップワークスを設立。企業サイトの企画~設計~制作~運用を手掛ける傍ら、攻殻機動隊トリビュートアルバムのアートディレクションやSKYPerfecTV!のクリエイター向け番組『DesktopTV』のプロデュース、ライブ配信番組『田口真行のWebディレクション講座』やセミナーイベント『エンタミナ』の主催など幅広く活動。また、独自手法のディレクション・メソッドを題材にした実践型セミナー&研修講師として、全国各地での講演活動を展開。2017年、世界初となるWebディレクター向け支援ツール『Webディレクター手帳』を開発。2018年、書籍『ディレクション思考』の執筆及び出版やWebディレクションを学び身につけるオンラインサロン『4LDK』を立ち上げる。2019年、ライブ配信セミナー『現場学校』やWebディレクターの能力を可視化する業界初の試み『ディレクション検定』をスタート。株式会社スクー「最優秀公認団体賞」受賞。CSSNite「ベストスピーカー」を2年連続受賞。